宮本武蔵生誕伝説
石海神社
祭神は舎人親王。創立年月日は不詳ですが、楠の大木が生茂り、古灯籠や拝殿の絵馬が歴史を物語っています。本堂は明治三十二年(1899)の再建です。
※舎人親王
天武天皇の皇子。天武天皇の諸皇子の中で奈良時代初期に権勢を振るい、『日本書紀』の編集も総裁した。御母は新田部皇女。
〈 宮本武蔵生誕之地碑 〉
宝暦十二年(1762)に完成した地誌『播磨鑑』に当時、宮本武蔵が太子町宮本村で生まれたと記されています。晩年の武蔵が著した『五輪書』に、自ら「生国播磨の武士…」としています。
残念なことに、宝暦年間(1751〜1764)の大火災にて村の大半が罹災し、武蔵に関する史料・古文書・系図等の大部分を焼失しました。さらに、明治二十年(1887)におきた再度の大火災により、総ての史料・古文書等が灰となりました。 現在、武蔵生家跡として言い伝えられた場所に古井戸だけが残っています。
※荒神さん境内の無残な傷跡を残した椋木が、この再度の大火災を物語っています。
※播磨鑑
「宮本武蔵揖東郡鵤ノ庄宮本村ノ産ナリ、若年ヨリ兵術ヲ好ミ諸国ヲ修行シ、天下ニカクレナク則武蔵流ト云テ諸士ニ門人多シ、然レドモ諸侯ニ任エズ明石ニ至リ小笠原右近将監督侯ニ趣キ玉フトキ同伴シ、養子伊織ニ五千石ヲ賜ハリテ大老職ニ任官ス今ニ其子孫三千石ニテ家老職ト云・・・」
基本情報
住所 | 兵庫県揖保郡太子町宮本168 |
電話番号 | 079-276-0833 |